国際建築設計競技「国会議事堂」
<優秀賞>
1996年7月 東京都
国会議事堂デザイン/コンペ
このコンペで、審査員であった黒川紀章先生と出会いました。
 衝撃的な出会いでしたが、その後黒川先生の事務所で約4年半お世話になることになったのです。学生時代に参加したコンペの作品を今頃になってホームページに掲載するのはどうかと思いましたが、建築家として独立する事を勇気付けてくれた賞であったことに間違いはないので、あえて紹介させていただきます。


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「陰部見世物」としての国会議事堂


国会は国家の「陰部」であり、かつ国民にとって「見世物」でなくてはならない。

 政治は政治家にとってエロチックなかけひきの場である。相手を喜ばせることによって自らも喜ぶ。そして、自らを昴揚したいために、または自己実現のために相手を誘い込む。いわば政治の場はベッドタイムの営みと同じである。根回しが前戯とすれば、国会がいわば「濡れ場」のクライマックスであり、議事堂は陰部である。だから政治家は、国会を隠そうとする。このように本来、国会議事堂は政治の最も興奮し至高する場であると同時に、恥部なのである。
 しかし国民にとっては国会が陰部であるからこそ「見たい」存在なのである。それはまるで見世物小屋に入っていくのと同じ心境である。
 だから、国会は人通りの多い、にぎやかな街の中に置かれ、不特定多数の人々にあらゆる角度から見られる存在でなくてはならない。

■国会は「見る、見られる」の関係にある場になくてはならない。
-見世物としての国会
 国会議事堂は上部から・下部から・周囲から見られる空間になくてはならない。

■国会本会議室及び国会対策委員会室を見世物にする。
 国会は、国会の始まる前から始まっている。「陰部」としての国会を見せるためには、国会対策委員会や議員控え室などを「見世物」にしなくては意味がない。

■但し、国会はドラマツルギーでない。
-スタジオとは区別される空間
 国会は台本を持った政治家の演技の場、これは俳優と似ている。しかしながら、国会は「ドラマ」の場とは区別されるべきである。代議士は、TVスターとは異なって、自らを見る者に対して直接的に責任を負わなくてはならない。スタジオと隣接させることによって常に比較させたい。

■本来国会は常にカオスの中になくてはならない。
-バザールの中に置かれた国会
 国会は国家の最高機関であり、秩序である。秩序は混沌に常に接することによって、互いに、秩序は秩序、混沌は混沌であり続ける。


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