第5日目 12月11日(金)



7時
起床。

最終日であるこの渡航期間中、傘が不要であったのは初めて。
毎日いい天気で感謝の気持ちと共に、気持ちよく起きられた。

何時も通りに風呂、朝食を終える。
ただ朝食は紅白の飾りの中で食べるので、
食事に集中できなかった。



9時
いつものように礼を言い、荷物を預かってもらうお願いをして会計を済ませる。
宿を出て、最後の現場確認と思い坂道を上る。



9時30分
現場着。

私が言わなかったからか、ほとんど誰もいない状況。
こんなんで本当にいいのか。
怒る気にもならず親分のところへ行く。

     



10時
親分が偶然会社にいて、仕事の話をした。

私が来た本当の理由は、
前回雨で見られなかった樹木を見たいからだったのだが、
どうやらバレテいたようで、
私が「次回でもよいので、もしお時間あれば・・・。」と言ったらすぐに、
「今行きましょう!」という話になり、車で案内してくれた。



10時30分
最初に行ったのは、前回歩道が川になってしまっていた場所。
30mくらい歩くともうそこには巨大なガジュマルがあった。

写真を撮ろうと構えるも、その写真に納まる大きさをはるかに超えていた。
私には数十本の樹木が束ねられたように見えたが、
よく見るとこれは一本の樹木であった。

このガジュマルに感動していた私に、
「こんなもんじゃない!」と親分。

次の場所へ車で移動。

           

     

     



10時50分
舗装された道路から突然、幅が1mくらいしかない道路へ車が突っ込む。
草木が道をふさいでおり、それを吹っ飛ばすかのような勇ましい走りであった。

     

「流石親分!」と言いたいところだが、親分の顔を見る余裕はない。
車のボディは草や小枝により傷付けられたろう。
タイヤは、ディズニーランドのアトラクション以上の予想もつかぬバウンド。
何度も車体の腹をこすられ、目の前にいきなり倒木が現れ、
ギリギリくぐるも減速はしない。

私が見たいと言ったばかりに、申し訳ないと思う気持ちが大半を占める。
とにかく迫力のある運転だった。



11時
急に車を止めた。
この先でUターンができる場所があるか見てくるように言われ、先に降りる。

ちょっとした隙間しかなかったが、
この細い道を、枝を折りながら走るのであれば大丈夫だろうと大きな○印を出す。



11時15分

     

車を降りて、その先の倒木らに“またぐ・くぐる・折る”を繰り返した。
下ばかり見ていたら、親分の進行方向と違う方に行っていたり、
大変な急斜面が現れたり・・・。
そんなこんなで気付くと親分が足を止め、「これだ!」と指さしていた。

写真にすべてが納まる訳もなく、非常に巨大な巨大なガジュマルであった。
まるで壁のようで、これが建築構造体になったらものすごいだろうと一瞬で感じる。
この感動は文才があっても書き表せぬだろうと言い訳しながら、
しばらくの間眺めていた。

           

     



11時30分
深々と頭を下げ、感謝の言葉を知っている限り使い果たし、
車に乗るまでは、迷子になりそうになりながらの軌道修正を繰り返し、
やっとの思いで車にたどり着く。

帰りの道のりは、行きよりもいささか安心感がある。
どこで腹をコスルか道幅の変化など行きの記憶が逆転して蘇る。



11時50分
忙しいのに宿の前まで送ってくれた。
先ほど同様、深く頭を下げて礼を言った。



12時
土産を買うのを忘れていて、閑散としたメインロードを歩く。
土産屋には私が狙っていた商品がなく、少々がっかりしたが、
また来月来るからと立ち直る。


     

     

     


12時20分
“あの店”の店員から、昼来るように言われた店へ行く。
すると、私が“あの店”でよく盃を交わす男の店だった。
「なんだそういうこと?!」というと苦笑い。

ガラガラの店なのにカウンターに座るよう促され、
座るとカレーを試食するように言われる。
「海老フライが食べたい。」と冗談をいうと、
海老フライカレーにすると勝手に決められた。



12時30分
本当に海老フライカレーが出てきたのだが、
今宵、“あの店”で料理対決らしい。

     

彼と自衛隊のマカナイ担当者のカレー対決で、
カメ店長が審査委員長らしい。
かなりイカガワシイ対決だが、
食べてみると食べたことのないまろやかなカレーであった。

流石にホメテオイタが、海老フライも奇麗にパリッとして、
あの店で会う彼とはまったく違っていた。



13時
食べ終わる頃に、出し忘れていたとスープが登場。
やっぱり・・・なんていって笑ってしまった。

ついでにビールを注文すると、
ちょっと見てもらいたいものがあると言い、
図面やら見積書やらを出してきた。

つまり、私に自分の家を設計頼めないかという相談であった。
「次回の渡航までで良ければ・・・。」と快諾した。



13時30分
盛り上がって話していると、店の時計が13時30分。
「もう行かねば・・・。」と言ったら、この時計は進んでいるとのこと。
もうしばらくして携帯の時計を見ると、
まったく遅れていなかった。

「この冗談はイエローカードだろう。」と会計を頼む。
「ビールの代金は抜くように。」と彼が女性店員に告げる。
「払うから。」というも、「絵を描いてもらうから。」という。

私はビール一杯でやらされるのかと苦笑い。



13時45分
宿へ戻ると、ハンプティダンプティが心配そうに声をかける。
でも、その宿にはサンタの衣装が飾られており、観光客を楽しませていた。

           

     

「また来ます。」と言って、港へ急ぐ。



13時50分
乗船は開始されており、何時もと違い飛び乗った感じだ。



14時
出航。

子供たちが横断幕を持ち、手を振る。
遠くから私の名前を呼ぶ女性の声。
“あの店”の店員。
恥ずかしといったらありゃしない。

     

     

今日は自衛隊の方々も大胆に見送り。
いつもの太鼓はいつもどおりで。
船は港を離れていく。

     

いつものようにクルーザーらが並走し、
いつものようにダイビング。

     

     

しかし、ここから今までにない辛い船旅となる。



14時30分
部屋に戻ろうとすると、親分の親分に話しかけられ、
普通の人が入れない特別室にいるから来るようにと。



15時
おそるおそる戸を開けると、宴は始まっていた。
参加者は島の権力者ばかりで、ここに記すことはできない。
その宴は、「誘ってくれてありがたい。」と思った以上の事を記すことはできない。
私の熱い建築論も聞いてくれた。

これがどう展開するかは未定である。



20時
宴が終了した理由は、親分の親分がレストランで蕎麦が食べたいと言ったから。

私は誘われたが断り、自室へ急ぐ。
この時間になると手摺につかまらねば歩けないほどの揺れだった。



20時30分
もう寝ていることしかできない揺れになる。
あんなに晴れていたのに・・・と。

ここからはもう時間は分からない。
単にベッドに横になるしかできなかった。
横になっても本を読むことすらできず、
ベッドの床部分と壁部分の直角部分に体を押し込む形で、
己の体を固定した。

最初は、エンジンが爆発したのかと思った。
そのうちミサイル攻撃を受けたかと思うようになった。
「ドーン!!!」という衝撃の後、
震度5くらいの地震が5秒くらい続く。

それが10秒経たずに繰り返され、脳ミソがおかしくなりそうだった。
台風の時に帰ったときよりも、桁違いの揺れである。

                         第5日目終了 第6日目へ続く→

戻る


写真・文章等の無断転載はご遠慮ください。