第1日目 3月14日(月)





9時
竹芝桟橋着。

電車が遅延しないかと心配したが、予定通り到着した。
待合ロビーは閑散としている。

地震で連絡の取れない親戚の事が心配であるが、
だからと言って何ができる訳でもなく、
仕事をするしかないと今回の出張を決意した。



10時
出航。

今回は一人部屋。
同部屋だった方はキャンセルされたのだろう。

   

   



10時30分
仕事相手と少々打ち合わせをして、メールチェック。
海外の友人からも多数メールを頂戴した。

窓から見える東側の空に地震雲発見・・・何も起こらねば良いが。
携帯はつながらず、メール返信も中途半端。



11時
ようやく会社とつながった。
今のうちにと総メール。



12時
テレビを付けると、BSは観えるようだ。
もう十数回渡航しているが、こんな事に今頃気付いた。

被災地の速報に釘付けとなる。
東京電力の計画停電に、記者が噛みついている。
こんなに文句言うこともないだろうと同情する。
足の引っ張り合いは必要ない。
完璧な人間はいないし、与えられた条件下でどうやって力を合わせていくかが重要。

これは、父島で仕事をするようになって実感させられたことでもある。



13時
船は、あまり揺れないような気がする。
電話の調子が相変わらず悪く、イライラ。

思いきって仕事を諦め、読書をする。
本を読むも、連絡の取れない親戚が気になる。



20時
八丈島近郊を過ぎたのに、八丈島へ引き返すとアナウンス。
急病人がおり、海上保安庁のヘリによって搬送するという。
命に係る急病のようで、船内にドクターもいないようだ。
2時間分くらい戻る感じだ。

父島滞在時間がさらに短くなる模様。
それにしてもかなりトバシテいる、揺れを感じるようになった。



21時20分
急病の客つり上げ作業は22時とアナウンスだったが、
羽田の救助隊からの指示で、23時30分まで待機せよと指示があったと。
おそらく父島着は5時間以上遅れる訳で、初日は仕事できないだろう。



22時10分
アナウンスとは異なり、八丈島から離れ東京の方へ向かっていく。
何だか連絡もなく、変な感じだ。
八丈島付近では電波圏内であったが、再び圏外に突入。

船内食糧難になることを考えねばならない。
被災地優先とかで海上保安庁に断られたか・・・。

   
                   船内にある渡航位置を示す画面



23時30分
まだ北上している。
三宅島と八丈島の中間辺り。



25時40分
三宅島近郊まで戻った。
ここで患者の引き渡しを行うようだ。

6時間くらいのロスか・・・。
波が高くない事が救い。

   
                   船内にある渡航位置を示す画面



26時
海上保安庁の船と合体。
ここで患者の引き渡しのよう。
なかなか二つの船の波長が合わない。
こんなんで引き渡せるのか。

         

   



26時5分
引き渡し完了と同時に船が離れる。
患者は年老いた方のようだが、大丈夫であったか。

船は停泊中、早く発進してもらいたい。



26時15分
どうやら発進したよう。
三宅島も早く復興して欲しいと夜景を眺める。
お手洗いへ行く途中、疲れ果てた女医かナースとすれ違う。
生死の間で働く人々には休みもない、私にはできない偉大な仕事だ。



27時30分
御蔵島付近。
電波圏内なので、ついで仕事をした後に就寝。

                                 第1日目終了 第2日目へ続く

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