第5日目 3月18日(金)





5時
まだ起きられない。

朝食も抜き。



10時
被災地の親戚と連絡が取れたと連絡あり。
良かった。

だがまだ連絡が取れない親戚もいる。



12時
まだ起きられない。
腰が限界に達している。

昨日の昼に、美味い飯を食べておいて良かった。
丸一日何も食べていない。



14時
少し波が静まってきた。

船が波に向かって進むような感じだったので、
ピッチング(前後の揺れで先頭が上下して海面に叩きつけられる動き)はあったものの、
横揺れはなく、起きてはいられなかったが、
予想しやすい動きだったので楽といえば楽だった。

急いでカップラーメンをススル。
会社と連絡。



15時
富士山が奇麗に景色を作っている。

船内アナウンスにて18時着と30分短縮。

   

   



16時
身なりを整え、部屋に戻ると
ようやく同部屋の方が起きてきた。

「大変でしたね」なんて声をかけたら、
すごく真面目なコメントを返されたので、
「ご職業は?」と聞くと大学の教授のよう。

母島で研究をしていたらしく、津波避難も経験したと。
地震の話、原発の話も学者らしいコメント。
コーヒーまで入れてもらって、
いろいろとご教授いただいた。

   



18時
竹芝桟橋到着。



今回の渡航は、地震の影響で出発が延期され、
滞在日数が1日減った強行日程だったので、
かなり疲労困憊してしまった。
津波の影響からか父島には魚はさっぱりいなかったが、
鳥の奇妙さは相変わらずであった。

行きの船で急病となり、海上保安庁の船で運ばれた方は亡くなられたとのこと。
地震がなければ、ストレスもなく父島に戻ることができたかもしれない。
それを思うと、36時間の渡航となったが大した話ではない。


父島にも東北出身の仲間が結構おり、
“嘆き悲しむ者”“自分が頑張らねばと一緒の船で帰る者”と様々であったが、
我々若輩者は後者でなければならないと強く思う。
父島だけでなく、自分の故郷も何とかせねばならないと思いつつ、
フラフラになりながら災害復興へのアイディアが頭をヨギル。

直帰しようと思ったが、自然と会社へ向かっていた。

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