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株式会社田中俊行建築空間設計事務所は、用途・規模・構造を問わず、あらゆる建築作品を設計する事務所です。

コラム 2012年

1月5日 「辰年」
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あっという間に明けてしまいました。
本年も宜しくお願いいたします。

 正月3日まではアルコールを断ち、油絵と陶芸に没頭しておりました。いつまでも上達しない事に腹立ちましたが「これは趣味だから下手でもいい」と自分をなだめておりました。お披露目するほどの腕ではないですけれども、建築を創るのはいろんな意味でストレスとの葛藤ですが、油絵や陶芸はストレスなく自分の世界の中にいられるので気持ちよく時を過ごせました。


 今日から本格的に会社は始動しました。
 年始からバリバリ図面を描いておりますが、今年は「変化のある年」になるかもしれません。私は7月で40歳になりますし、いろいろと変化を求められる年になるのであろうと勝手に想像しております。

 あっという間に大晦日にならないよう毎日を大事に生きようとも思うようになりました。


1月16日 「愛車の機嫌」
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 昨年、私の愛車のディーラー担当者が代わりました。でも私は、仕事が忙しいこともあり挨拶に通ってきてくれる新任の若い担当者に会おうとせず、門前払いを繰り返しておりました。

 そんな中、土曜日にエンジンをかけようとすると、ホッタラカシにしてフテクサレタ愛車から“無視”されてしまいました。「これはまずい…」と電話をしようとしたら携帯電話を家に忘れており、自転車でディーラーへ向かいました。
 汚い格好で店舗へ入ると珈琲を出され、その新任の営業マンが私のところへやってきました。愛車から“無視”された事を告げ、更に急いでいることを伝えると、瞬時に取替えに行く段取りを始めてくれました。
 自転車は置いておいてディーラーの車で駐車場まで行こうといわれ、そこまでの運転を依頼されました。車に乗ろうとすると助手席に彼が座って「運転お願いします」と言われたので、「バッテリー交換してくれる人は…?」と聞くと、「私がやります!」とのこと…実は一昨年まで整備士だった事を明かされ、「営業はダメですけど、バッテリーくらいは簡単に取替えられます。」と笑顔でした。

 駐車場に着くとスーツの上着を脱ぎワイシャツの袖をまくり、ガードマンと私が見守る中、5分くらいでバッテリーの交換を終えました。その手際の良さは、私とガードマンが目を丸くして顔を見合わせてしまうほどでした。楽しそうに工具を使いこなす姿をみて、彼は営業なんかやりたくないのだろうと少しかわいそうに思いました。


 私はこういう人間なものですから、今度は彼から車を買ってあげたいと素直に思いました。でもこんな事を考えていると、愛車は走行中に橋の上から落下しようとするのではないかと思い、クラシック音楽のボリュームを上げて久しぶりの愛車とのデートを楽しみました。


1月25日 「休息」
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 週末に、白鹿さんに会いに奈良へ行ってきました。

 仕事が忙しくて人格破壊しそうであった為、白鹿さんが気を遣ってくれまして、観光というよりは休息をさせてくださいました。白鹿さんのご自宅で出張整体をしていただいた後に昼寝、その後近所の温泉に浸かった後は好物と共にアルコール摂取。整体の影響で酔ってしまいまして、早めの就寝。
 次の日は古墳等、人に会わない散歩道。蔵を改装した客のいないお店でうどんをススリ、遠くに東大寺を眺めながら平城宮跡へ。
 かなりの広い敷地でありながらほとんど人がおらず、ストレス社会からの解放を堪能しました。

 歴史館は遣唐使に関する展示が多かったのですが、遣唐使は平城京が発展する為に長安(現在の西安)とを結ぶ重要な役割であったと聞かされたとき、昨年仕事で西安へ行ったという偶然に身震いし、何か壮大な歴史感を得てしまいました。

 ストレス社会に戻る事への嫌悪感も生じてしまいましたが、夕方は大阪梅田にて白鹿夫妻に加え大阪でもお世話になったM氏夫妻に宴を催していただき、叱咤激励の後新幹線に乗りました。
 大変お世話になり、ありがとございました。


 東京は月曜日の晩に雪が降り、今朝は道路がアイスバーンになっていました。
 大勢が待つ坂道の交差点で、一台の車がアイスバーンにタイヤを滑らせ後退し後ろの車に衝突しそうになっておりました。ところが信号待ちの歩行者は黙ってみているだけでした。
 最後尾で信号待ちしていた私は人ごみをかき分け車の後方へまわり、足を滑らせながら車を押して無事にアイスバーンから脱出させました。
 歩道の信号は青になり、皆は何事も無かったかのように横断歩道を渡り去りましたが、ストレス社会で生きていくためにはこれくらいの無関心さが必要なのかもしれません…困ったものです。


2月1日 「営業拠点」
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 社内での雑談で「東京湾が放射能汚染され、高濃度に達するまでにあと1年半くらいだ」という話しを聞きました。テレビで学者が言っていたというので、まんざら嘘ではないだろうと思います。政府が耳を傾けず、東京湾浄化に予算をつぎ込んでくれないとマンモス都市は崩壊します。
 私の復興計画ではマンモス都市の崩壊自体は「アリ」なのですが、本当にそうなる前にやる事をやっておかないと大損害を被ることになると思います。


 現在、半蔵門近郊にある岡田新一氏の代表作の改修設計をしております。現地調査をしている際に、ご年配の監督員が丁寧に私を案内してくれました。詳しくは記せませんが、お察しのとおり改修難易度が高い案件をどうまとめられるか頭を悩ませております。

 このように、せっかく東京で地盤を固めつつあるのに、ここで仕事ができなくなったらまた一からやり直しです。霞ヶ関界隈で改修設計したことが無駄になって欲しくないと願うと共に、万が一(万ではなく百くらいですが)に備えて、営業範囲を拡張せねばならないと思うようになっております。


2月6日 「給水所」
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 昨年末のコラムに記しましたが、年明けから通勤時等に軽くランニングをするようになり、先日とうとう銀座で買い物ついでにスポーツショップへ立ち寄り、ランニングに適した衣服と靴を購入しました。若い頃私は、運動を得意としておりましたので、このような衣服と靴を身につけますとどうしても心だけは昔の自分に戻ってしまいます。

 体力がそれについてこないのは当然なのですが、ボロボロの運動靴と安っぽい運動着を着て走っていた頃よりも軽快に長距離を走れるようになりました。一応、朝晩歩いて通勤していたルートに更に寄り道を増やして距離を延ばしております。ついつい調子に乗って走り過ぎる悪い癖もあり、本日は筋肉痛です。何時まで続けられるか…身体と相談しながら無理の無い範囲で行なおうと思います。


 朝の“給水所”は無く、自動販売機をニラミながら誘惑に耐えますが、夜の“給水所”は沢山ありまして、健康的に流した汗を他の液体で補填しております。
 ランニング時間よりも、そこに居座る時間が長くなってしまうことが現在の課題です。


2月16日 「儀式」
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 前厄だからという理由もあって、長財布を新調しました。

 以前、財布に関して記された本を立ち読みした事もあって、この財布のために儀式を行なう事にしました。百人の福沢諭吉に財布の中に入ってもらい、財布に「お金が沢山入る癖」をつけようという儀式です。
 冗談半分でやっているつもりですが、月曜日からそれを行い現在も儀式中です。貧乏性なので誰かに数枚抜かれていないか心配です。儀式中に枚数を数えないようにせねばなりません。

 一週間の儀式が終わった後に、財布から怒られないよう沢山働こうと思います。年度末納品の図面がラストスパート中です。今年度何千枚図面を描いただろうと数えてみたくなります。
 来年度のビッグプロジェクトが首を長くして待ってますので、朝晩のランニングで体力を回復させねばなりません。


2月27日 「正義」
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 数回前のコラムで、東京湾が汚染される事を記しました。それから間もなく、国が調査を開始するというニュースが流れました。どうしてこうも情報開示が逆転してしまうのか、不思議でなりません。いったい国は何をしているのかと不安になります。
 何度も記しますが、真実が何かも分からなくなり、テレビ等にコントロールされた情報が社会を支配し、政治も然りです。


 そんな中、光市母子殺害事件で最高裁が上告を棄却したというニュースが飛び込んできました。偶然その際に私はその建物の調査をしており、何故こんなに厳重警備なのかと不思議に思っておりました。ご遺族の方の苦心を思うと心が痛みます。
 また、私が23歳で同じ状況に陥ったならば、彼のように立派に振舞えなかったと感じます。何度もメディアに露呈され、日に日に強くなり最後まで司法を相手に戦った彼の功績は偉大だと思います。
 私よりも少し年下のようですが、自分の意志を貫いて正義を得た彼のような人間が日本のリーダーになって欲しいと願います。


 もうすぐ3月です。少しずつ温かくなってきたように感じます。そのせいか、窓の外に目をやると、野良猫がチラチラと姿を見せるようになりました。
 この“チラミセ”はかなりのテクニックだと感心しております。先ほどは、シッポだけが一本ピンと立って窓の左から右へ動いて消え、ある時は私と目が合うと隠れてまた他のところから現れ目が合うと隠れ…の繰り返し。
 冬の間の特訓で、芸を磨いたのかもしれません。


3月7日 「変わり行く島」
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 昨日父島から戻りました。島の変わりように少し気分が悪く(?)なっております。 商売建築が乱立し始めており、飲み屋の店員でさえも態度が変化しつつあります。
 今回は800人以上も船に乗っていましたが、船自体も1等客室に与えられる“サロン”というくつろげる場所が、効率の良い特2等客室に変更されておりました。


 そんな中、私の酒飲み友達と常宿の母ハンプティさんは相変わらずで、特にハンプティさんは客を断るまで頑固な態度に嬉しく思いました。


 クジラが出迎えと見送りまでしてくれまして、鳥は相変わらず私に歌いかけました。魚はクジラに食べられたのかあまり見られませんでしたが…(笑)。
 島全体が、外来種の駆除に熱を入れていますが、この島で一番の外来種は人間であることは間違いありません。


3月10日 「苦境」
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 年度末という繁忙期だというのに、とても胸が苦しくなります。あれから1年が経ってしまいました。自分の無力さを痛感するだけではなく、今の自分に関しても何をやっているのかと憤ります。どこにもこの苦しみをぶつけられず、何もできず…。
 歌ったり踊ったりして支援できる人や大金を寄付できる人とは異なり、結局私は何もできずにいます。被災地の親戚にでさえまめに連絡もできず、お詫びの気持ちで父島から宅急便を送る程度です。

 朝晩のランニングで息苦しくなっても「被災した方々の心痛を思えば比ではない」と自分に言い聞かせます。“給水所”での補給量が今までより増え、落胆しながら年度末を迎えます。


3月20日 「鬼退治」
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 いよいよ年度末の大詰めで、鬼の形相で作図や書類作成をしております。竣工間際の建築監理や、納品前チェックを受けたり納品したりで私は殆ど会社に居られず、ある程度スタッフに任せ頼るしかない状況に陥ってしまいました。今年度このようなスタイルで仕事ができるようになれた事に驚いておりますが、スタッフに感謝せねばなりません。


 お彼岸という事もあってのようですが、同日にスタッフがおはぎと大福を持ち合わせてくれました。甘いものはもう何年も口にしていない私ですが、皆の勧めでパクリと口にしました。口に入れた瞬間に口の筋肉が緩み、頬が緩み、目が緩みました。こういうものを美味しいとはまだ言えないのですが、見事にスタッフから鬼退治されてしまいました。


 春になったら皆で花見でもしようと思います。


3月21日 「お礼」
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 今年度は忙しい一年でした。また震災があった苦しい一年でもありました。
 会社のほうは年度末工期の仕事が多く、3月30日(金)までに終えねばならない業務の中に、来年度持ち越すものが多少残ってしまいましたが、切りの良いところでスタッフらと金曜日の夜に贅沢なお酒を飲ませていただきました。

 今期にこれだけ仕事ができたのも、多くの方々にお世話になったからこその結果であり、仕事量だけではなく、その内容も普通ではかかわれない設計業務も沢山経験させていただきました。久しぶりに「田中の好きなように創って良い」というお施主様にも再会できました。設計の質の高さも評価いただけるようになり、毎晩午前様で仕事をしてきた事へのご褒美かと嬉しく思い、少々飲みすぎてしまいました。


 来年度は既に今年度を上回る“忙しさ”を予定しており、毎晩遅くまで働く事になるかもしれませんが、油絵を描く時間とロクロを回す時間は確保させていただきたく懇願するところです。


4月9日 「春」
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 年始のコラムで「今年は変化の一年となるだろう」と想起したとおり、株主総会の後に、会社役員の変更を行なう事になりました。加えて、社内が「紙の山」となり床が抜けそうに感じたので、移転する事を検討中です。


 土曜日に机に座り外を見ると、子猫3匹がジャレテ遊んでおりました。バルコニーに出ると、固まった状態でこちらを見つめ、そろそろ遊んでくれよと言われたようでした。引越し先を探そうと近所を散策していると、そのところどころで野良猫が出現し、彼らに案内されているようでした。


 私は「招き猫」をある意味信じております。建築の神様も然り。私個人には何の力もありません。たまたま野良猫に気に入られたからこそ、これだけ忙しく建築に身を捧げられております(?)。
 被災地の親戚から、浴びる程の「浦霞」が送られてきましたので、野良猫らと満開の桜の下で大宴会を催そうと思います。


4月12日 「イタズラ」
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 怒涛の忙しさは峠を越え、少しずつ落ち着きを取り戻しております。“給水所”への到着時間が午前様になる事はなくなりました。やれやれと思いながらアルコールを口にし、疲労回復に努めております。既に次の山は視界に入っているのですが、まずは一息という感じです。


 さて多忙が絶えぬ4月8日、変なことがありました。
 今日中に図面を送付せねばならないという期限もあって、バタバタしていた23時過ぎのこと。キーボードからマウスに手を移した際に空振りし、見ると突然私の机からマウスが消えておりました。

 図面の山に隠れてしまったのかと軽く考えて探していたのですが、5分経っても見つけられず、立ち上がってスタッフに聞いても皆モニターを見ており「その辺にあるでしょう」という雰囲気。机の上にある書類を全部除けて、何もない状態にしてもマウスは現れず、頭を抱えて「忙しいのに…」と天井に目をやり、それでも働かねばとモニターに目をやると、いつもの位置にマウスがありました。


 不思議なこともあるものだとスタッフらと笑ったのですが、このような不思議な事がある日は何かの日であることが多いのです。4月8日は師の誕生日でした。
 天国からイタズラされたのかもしれません。


4月25日 「嫁入り」
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 明大前の作品がようやく竣工(嫁入り)いたします。“結婚式”を延期させるなど、かなりのオテンバ娘でしたが、私には可愛らしく見えてきました。

 皆から喜んでもらい行儀良く座り、周囲からも歓迎される作品になりました。この子を嫁に出す為に、私は3年も費やしました。
 基本設計で私の意匠案が通ったのは確かクリスマスで、そのことも過去のコラムに書きました。竣工するとその時々の苦労や感動が蘇ります。大きな四角い建物を施主から希望されましたが、小さなキューブの集合体にして街並みを大切にしたり、建物内外でのコミュニティを大切にしたり、防災や耐震性のバランスなどにも優れた形状を求め試行錯誤し、現在に至っております。

 コンクリート打設時は祈る気持ちで立会い、打設する指揮官に頭を下げ、現場の作業員や野良猫にまで挨拶されるようになった作品です。オテンバ娘なので多少の仕上がりの悪さはあるのですが、私には愛おしく思える作品です。自分の手から離れるのが惜しいのですが、嫁に出し、作品は利用する方々と共に成長してくれると信じております。


5月8日 「9連休」
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 年明けから殆ど休まずに皆で働いたので、ゴールデンウィークだけは全員9連休とさせていただきました。

 私は油絵を描くのを我慢して、事務所の移転先を探して区内を走り回っておりました。候補事務所が絞られてきまして、そろそろ決まる模様です。正式に移転先が決まりましたらまたアナウンスします。
 それにしてもかなり毎日走りました。チョウチンの付いた給水所さえなければ、かなり痩せていたことでしょう。


5月14日 「あくび」
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 どうやら今週の水曜日で、会社を設立して9年となるようです。

 多忙な1年だったので、8周年を喜ぶ間もなく9周年となった気がしております。会社の移転先も正式に決まり、今年100歳になられるビルのオーナーに、本日午後ご挨拶をしてまいりました。敷地内にある駐車場も借りる事ができまして、高級車に囲まれた駐車場で日々を送っている愛車も、「ホッ」としていることでしょう。

 ビルの2階が新事務所となりますが、窓を開けると1m先の隣ビル軒で野良猫が昼寝をしており、「遅かったじゃないか~」とあくびされました。先回りされたのか…彼らに誘導されてここに引っ越ししてきたわけではないと思いたいところです。


5月28日 「無題」
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 先週、父島へ出張してまいりました。

 出張日記も懲りずに書いて(書かされて)いるのですが、世界遺産になって以来、どうも観光客のマナーが悪くてあまり良いことが書けておりません。
 野良猫は駆除されてしまって、私は鳥と遊んでばかりいます。夜には暗闇で独りウミガメのお産に立会って励ましていたら、観光客が押し寄せてきて騒ぎまして、結果ウミガメは産卵をやめて帰ってしまいました。
 帰りの船の中でも、少々不愉快な出来事がありました。島での生活を知っている人であれば、皆でスペースを交代で使うというマナーが当然あるのですが、同部屋だった方のマナーが悪くて…ひっぱたいてやりたくなりました。“小笠原人気”も考え物です。


 さて、現在少し広い事務所へ移転する事により、新スタッフを募集しております!
 頑張って、一緒に会社を支えてくれる方が来てくれたらいいなぁ…と思っております。役員も変更し、会社も移転しますから、今度新しく来てくれる方には絶好の時期だと思っております。

 心機一転、弊社のような設計事務所を活躍の場としたいと思われるかたは是非ご応募ください。


6月7日 「柴犬」
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 最近、気になっているのが近所のペットショップにいる小さな柴犬です。

 生まれたばかりの彼に会ったのは4月中旬だったか…それ以来、実はほぼ毎昼ペットショップの前を通ります。売れる方が良いのだろうけど、売れないでそこにいるのを愛おしく思い、それでも今の生活では飼うことはできないだろうと無念に思っております。
 おそらく店員にも覚えられていると思うのですが、眠っていないときは少しだけ遊んであげております。歯が生えてきて、噛むのが楽しくて仕方がない様子です。以前飼っていた愛犬もそうだったので良く分かるのですが、私は自分の指をたくさん噛ませてあげています。

 今日の昼は眠っていたので静かに外から見ていたら、目を覚まし私の方へ寄ってきました。はしゃぐだけはしゃいで飛び跳ねて、私の指を口に入れまして、気を許した隙に力を入れだしました。だいぶ力が付いてきたようで、嫌な予感は的中し、人差し指に赤い線が3本できました。傷を店員に気付かれぬよう、私はその場を立ち去りました。


 毎日、この犬を買える現金を財布に入れております。でも、今の生活では犬を不幸にするのは間違いなく…虚しさが募ります。客よりも餌をくれる店員に愛想を振りまくようになってしまったこの犬は、早く誰かが飼ってあげないと、ますます売れない犬になってしまいます…これが最近酒のツマミです。

 来週は、いよいよ会社の引越しです。新スタッフも早く決まる事を祈ります!


6月14日 「移転」
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 六本木で10年お世話になりました。
 10年前六本木のこの場所を選んだ時は、まだ黒川設計事務所のスタッフでした。その後黒川設計事務所の仕事を手伝いながら独立しました。
 いろいろありましたが、マンションの管理人さんや焼鳥屋のマスターなどなどなど、沢山の方々と知り合えて良くしていただいたこと、全てに感謝しております。
 この地を離れるのは少し寂しい気持ちになりますが、「住めば都」を信じ新たな目標に向かって邁進しようと思います。

 わざわざ言うほど、遠くに移転するのではないのですが…(笑)。


6月25日 「新事務所」
コラムタイトル09-01

 先週はバタバタで、コラムの更新をサボリました。多くの方々から、お花やお祝いを贈っていただきました。ありがとうございます。
 事務所移転でこんなにお祝いしていただけるとは思わず、驚いております。まだ家具が揃わないのですが、明後日からの父島出張中に、綺麗な事務所に整頓されると期待しております。

 バタバタしていたら仕事依頼が5件続き、「早く梅雨明けしないと首痛で仕事がはかどらないぞ!」と空を眺めていましたら、知人から「東京マラソンに参加しないか」というお誘いがきました。


7月3日 「整頓」
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 父島から戻りました。

 父島に到着前にウミガメが現れ歓迎してくれまして、その後もサメが岸壁を歩く私に着いてきたり、ご無沙汰していた猫やいつもの鳥とも遊ぶことができたりと、有意義でした(もちろん、仕事で渡航しているのですが…)。
 天然記念物のオカヤドカリからも、自宅の設計を依頼されそうな勢いでした。


 先週記したとおり、私が帰ると社内は綺麗に整頓され、新たな事務所として機能するようになっておりました。現・新スタッフと共に、西麻布で頑張ろうという覚悟ができました。
 更に移転後に、次から次へとお仕事を沢山いただいており、何だか気を遣わせてしまって申し訳ないと思いますが、応援してくださっている皆様へ感謝の気持ちを忘れずに生きていこうと思います。


7月10日 「不惑のボーダー」
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 金曜日に大学仲間のOB会がありまして、先輩後輩と酒を飲みました。懐かしい会話もさることながら、現在の活躍ぶりをうらやましく聞いておりました。

 このコラムを読んでくれているという先輩もいらっしゃいまして、テレクサクなりました。久しぶりに会うと年齢の話は必ず出るもので殆どが笑い話でしたが、一瞬だけ皆40歳近郊である事を何とも言い難い表情で話しておりました。

 私のボーダーラインは今週末…13日の金曜日の仏滅ですが本当にその通りです。30歳になるボーダーとは一味違うこのせつなさは、一体何なのであろうと思います。

 当日は普通に会社の飲み会をする事になりましたので、お時間ある方は是非、先月まで通っていた六本木の店にいますのでご参加ください。


7月17日 「次の10年」
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 とうとう40歳になってしまいました。30代の10年が「あっという間」とは言いませんが、過ぎ去ってしまった事に落胆しております。

 金曜日に新人歓迎会を催していたつもりが、最後にケーキが登場し久しぶりにロウソクの火を消しました。お店の方々にもお気遣いいただきありがとうございました。


 30代は「全力の10年」でした。ご承知のとおり、独立当初は生意気なことばかり申しておりましたが、結果的に真面目に全力で働き続けました。40代は「勝負の10年」だと思います。この10年をどのように生きるかでどのような人生とさせていただけるかが見えてくるような気がします。
 勝負というのは、他人相手ではなく自分との戦いです。沢山勉強して、自分のレベルアップに努めると同時に、建築や空間・都市をどのようにあるべきか、幾つかの解を自分なりに出さねばならないと考えております。


 今回入社してくれたスタッフらにもサポートいただき、自分らしい生き方を確立できる10年になることを祈ります。


7月25日 「担当者」
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 私が衣服等を買うときは、たいていある店に決めていたのですが、今年の春にボロになったジャケットを直してもらいに行った時や、私がジョギング姿で来店した際の店員の対応で少々嫌になりまして、その店で購入するのを止めました。
 大学卒業の頃からの長い付き合いでしたが、想い入れのあるボロジャケットを「古いデザイン」とあざ笑う(?)など、ムナグラを掴んでやりたくなりました。


 さて、有名ブランドではこんな事が許されますが、弱小企業の弊社としては、このような事態が命取りになります。いろいろな方から「○○会社というより、担当者によるよなぁ~。」と聞きますし私もそう思います。小さな会社であれば自分でカバーできるのですが、今の規模くらいからある程度担当者に任せねばならない経営となります。

 スタッフ増員により、私が「後ろ盾のない一担当者」というストレスからは解放されつつありますが、弊社でも個々が襟を正して業務を担って欲しいと思います。


8月2日 「雑草」
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 西麻布に引越してきて愛車に乗る機会が増えると、同じ種類の車が目に付くようになりますし、通勤時にランニングをするようになると、他にもランニングをしている人が多い事に気が付きます。

 また西麻布は、わりとメディアに取り上げられているようで、ポツリとテキトウに建ち並ぶお店でも、意外とテレビ人が通う店だったりもするようです。

 コンビニへ行くと、移転する前の六本木の事務所近くで勤めていた店員が西麻布店でも働いているようで、相手方も私に気付いて笑顔で挨拶をしてくれました。ボサボサ髪型で蕎麦ばかり購入するので覚えられていたのでしょう。

 そんな懐かしい人たちから「つり銭」を渡され会社へ戻る途中、西麻布の街路に面する植木や植栽は手入れされ高級なものが多いのですが、近所に売り出し中の土地が1区画あり、そこだけは雑草が好き放題に生息しておりました。その雑草を見た瞬間に、愛車と同種の車やランニング姿の人を見たときと同じような“共鳴”する気持ちになりました。綺麗に等間隔で手入れされて並んでいる高級な植栽よりも、私はこのような雑草に近いものに共鳴するのかと40歳になって初めて気付きました。


 会社までのランニングコースで、西麻布の露地に入るとたくさんの猫に見物されます。たまに馬鹿したような目つきで横目で見る猫もおりますが、姿勢を正して応援してくれる猫もおります。西麻布にまだ馴染めていないような感もあるのですが、六本木の野良猫も移住してこないかと勝手な妄想をして、走行中にギックリゴシになりそうになってしまいました。


8月6日 「柴犬2」
コラムタイトル09-01

 以前、六本木のペットショップで気になっていた柴犬が、事務所移転前にいなくなり、売られて良かったと思う気持ちと少し寂しい気持ちが混在しておりました。それから私も忙しくしていたこともあり、子犬のことを忘れておりました。

 先日コンビニへ向かうと、西麻布の交差点で、お人形さんのようなお嬢さんが子犬を抱きかかえておりました。よく見るとその犬は柴犬で、お嬢さんは携帯電話に夢中だったので、私は立ち止まり、その柴犬と目が合うまで直立しておりました。
 1ヶ月半のブランクがあったのですが、子犬も私を何処かで見たことある奴という目で見るようになり、身を乗り出してきました。その行動にお嬢さんが気付きそうになったので、ひとまず私はコンビニへ駆け込みました。

 お嬢さんに声をかけたら「変なオジサン」と思われるだろう…という事で、何もせずに会社へ戻りましたが、いつの日か奴が私のにおいをかぎ付け、事務所まで来てくれないかと思います。


 移転してから多くの方にご来訪いただいておりますが、時々迷われる方がいらっしゃいます。看板を出していない事を申し訳なく思っております。
 現在大家さんに交渉中のため、しばらくお待ちください。犬のように鼻が利く方は地図なしで挑戦してみてください。


8月14日 「夏休み」
コラムタイトル09-01

 今週、弊社は基本的に夏期休暇です。

 監理している現場が5つもあるのでスタッフの誰かは来ておりますが、電話等いただいたときに担当が不在であるかもしれませんのでご了承ください。


 オリンピックが終わりましたが、少々後味の悪い一面もありました。
 この話はまた後日…意外と好評な「平和なはずの商店街-3」にて。


8月28日 「無題」
コラムタイトル09-01

 昨今の近隣諸国情勢や国内の政治情勢、原発をはじめとする震災復興計画を考えると、このコラムを書く気力すら失われウンザリしております。…とはいえ8月末に引き渡す案件が4件もあり、毎日麦わら帽子を被り汗だくで熱中症にならないように祈りながら現場を巡回しております。


8月29日 「栄養士」
コラムタイトル09-01

 弊社役員・諸先輩方・友人または焼鳥屋の店長と話をすると、「痛風になるから、太るから、夏バテするから、脳が活性化しないから、若くないんだから、胃腸に悪いから、コレステロール値や血圧が高くなるから…」等々の理由で、「あれは食べてはいけない。これを食べた方が良い。」などとアドバイスをいただくのですが、すべての意見をまとめると食べるものがなくなってきます。

 加えて歯医者から、「一週間は、片方の歯で噛むようにして」と言われ、何が何だか分からなくなり、酒だけ飲んでやろうかと思うと、「アルコール中毒になる」と言われます。

 私に一番必要なのは、栄養士かもしれません。


9月3日 「平和なはずの商店街-3」
コラムタイトル09-01

 昨年3月、蕎麦屋は半壊するほどの大きな被害を受けた。その瓦礫は、商店街の端にあるステーキ屋にまで届いた。商店街の皆は「かわいそうだから手伝ってあげる」と言い、瓦礫の片付けとスタッフの捜索に手を貸してくれた。

 蕎麦屋は意気消沈し、次第に「店長らが悪い」と内乱が起こり、とても店の再開にたどり着けない。銀行からお金を借りても各自の衣服を新調するだけで、店のリフォームにお金が回らない…誰も設計ができずにテキトウなことをささやくだけ。

 それを見て、まずアイスクリーム屋が動き出した。
 瓦礫撤去の際、蕎麦屋の屋根裏部屋が壊れなかった事を確認すると、店長自らが蕎麦屋へ行き、この屋根裏部屋はアイスクリーム屋のものだったと断言し、商店街中に宣言した。あっけにとられた蕎麦屋であったが内乱ばかりで文句も言えない。

 それを見て、町内会のお祭りで「蕎麦屋の個室は我々のものだ」と焼肉屋。それを見て、町内会の電光掲示板に「蕎麦屋の犬走りは我々のものだ」とラーメン屋。

 世代交代した煙草屋は、商店街で悪事ばかり働いて孤立していた。後継ぎの息子は「今蕎麦屋と<よりを戻すふり>をすることが良策と思い、スタッフをパーティに招いた。

 浪人は「経費を使いすぎるな」と忠告を受けながら、蕎麦屋の地下を掘り出した。


9月20日 「国力」
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 隣国との問題が大きくなりつつありますが、日ごとにテレビコメンテーターの発言が弱腰に聞こえてきてがっかりしております。戦争となったら「一人っ子政策でカワイガラレて育った若者は戦えるのか?」と疑問に思いますが、愛国心なき日本の若者も、競って海外へ逃亡するのだろうと想像できます。お互いに、口先だけの言い合いなのかもしれません。

 今更ですが、私が考案した「日本復興計画」を本日某雑誌編集長さんへお渡ししました。この案を広めていただき賛同者を集めることで、日本が力強い国へと変われることを祈ります。

 明日から父島出張です。逃亡せずに戻ってくる予定ではあります。


10月2日 「お土産」
コラムタイトル09-01

 台風に追いかけられながら父島より戻りましたら、ある図面の納品前で社内がゴッタガエシテおりました。脳ミソフラフラでスタッフにお土産を渡し、最後の力を振り絞って作図してもらいました。納品後、焼酎に父島の果実を絞り打ち上げをしました。


 更に昨日は税務官にお越しいただき、会社設立10年目にして初めて税務調査を行っていただきました。西安や父島の出張が、単なる旅行と思われそうでした。HPでの記載も、オモシロオカシク書いてばかりではなく少し考えないといけないかもしれません。

 ただし、いろいろとご指導いただきまして、経営者として勉強になったのも事実です。勤勉な税理士に、任せられるだけ任せていた反省と共に、少々のお○○を…。


10月6日 「背景」
コラムタイトル09-01

 毎朝、ニュース代わりの情報番組を観ますが、領土問題でコメンテーターの発言が弱腰となったのに加え、あるテレビ局の番組は、別の不快感を助長するようになりました。
 それは、テレビ画面の大部分を占める背景なのですが、その色使いが日本人ではあり得ない色を選択しております。その色を決めた人間の意図が何であろうかと考察し、それは洗脳なのかと疑いをもちます。

 いずれにしても観ていて不快になる背景なのですが、他の方でこの番組を観ていて同じような気持ちになる人がいないのかと思います…如何なものでしょう。


10月15日 「6回忌」
コラムタイトル09-01

 毎年10月12日は黒川事務所OBらで集まり、少しだけ師の話をする事が恒例となりました。そして、あっという間に6回忌となり、亡くなってから今日まで自分は何をしてきたのだろうと反省する一日となりました。個人的に考えることは多々ありますが、他OBの活躍を聞き「私もまだまだ頑張らなくては…」と思わされる宴でした。

 ここ数年、墓参りに行くのは止めておりますが、師は「墓参りなんかよりもやることがたくさんあるだろう」と言ってくれていると信じております。


10月23日 「ボツコラム」
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 今月末に仕上げねばならない図面がありまして、スタッフ総動員で作図しております。こんなことになるならもっと前からスパートしておけば…という後悔はあるにしても、締め切り前のバタバタは、スリリングで緊張感もあり集中力が増し、何故か性に合っているような気もしています。

 毎週月曜日にコラムを更新しようと手帳に書き留めたり、またそれをWordファイルに書きためたりしているのですが、「この文章は、HPを更新するスタッフから許可される文章ではないのではないか?」と思い自らボツにして更新が遅れて怒られたりもします。
 自らボツにしたコラムを、“ボツコラム”というファイル名で保存しているのですが、かなりの量になりました。書き途中のボツコラムもたくさんありますが、これこそ私の真意だと思っており、一般公開するわけにはいきませんが、これを書き続けることでその積み重ねが私のWillとなるかと思っております。


10月29日 「スタイロフォーム」
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 西麻布の野良猫は、六本木よりも多いような気がしてきました。通勤途中に会うだけではなく、昼間も社内打ち合わせ時に私に見られるように道の真ん中を堂々と歩いています。

 今週の土曜日に、建築家協会のセミナーがありまして、そのパネリストの一人になりました。このセミナーにて近作を発表するのと、近所の大規模開発案に対する田中案を発表しようと思っております。
 田中案を創るのにスタディ模型を作ろうと思いまして、在庫のスタイロフォーム(発泡スチロールのようなもの)を切っていたら足りなくなり、近所に買いに行ったら「白色のスタイロはない」と言われました。
 白で作っている最中にそんな事を聞かされて、納得できずに詰め寄ると、「工場が震災で被災し営業できなくなった。その工場でしか白のスタイロを作ることができない」と…。
 こんなところにまで震災の影響が出るとは思いませんでしたが、それを言われるとすんなり諦めモードとなり、「白とクリーム色の混合もそれはそれで意味を持たせれば良いか」とプラス思考で考えるようにしました。


 「我々も住めるよう考えたか…?」と、猫からの視線を感じるようになりました。


11月9日 「青ヶ島」
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 先週の月曜日からの水曜日までの強行スケジュールで、八丈島→青ヶ島→八丈島へ出張してきました。我々の飛行機とヘリコプターだけは奇跡的に欠航にならずに済み、予定通りに最速で帰社できました。


 まず、青ヶ島という島には驚かされました。
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 あいにくの天気で良い写真が撮れず残念ですが、人が住んでいることに驚くくらいの島でした。急な坂道だらけで海には下りられない絶壁、更に擁壁は崩れ工事は延々と続いておりました。
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 “島民が海に降りられない”という事が、本当にこの島の地形を象徴するところですが、黒潮で激しく削られたからかと想像してゾッとしております。

 レンタカーで走行する道中、黄色い小鳥が道案内をしてくれました。そんな中、猫が小鳥を追いかけ飛び出してきました。急ブレーキで止まり、「引いたか?」と車を降りるとバンパーの前で丸くなっておりました。暗くなってからの地熱温泉から宿に戻る途中では、テンが道の真ん中におり、また急ブレーキをかけました。

 夜は宿で自慢の青酎をたくさんいただき、宿のお母さんと談笑して楽しい宴でした。宿泊費は決まっていて、幾ら酒を飲んでも料金は変わらないそうで儲からなかっただろうなぁ…と思いながらも「また来ますから!」と言って別れました。


 八丈島では島内で最も高いところに登る仕事でした。かなりの強風で最上部の鉄塔には立てず、手摺につかまり足は踏ん張り…死にそうな思いで現地調査をしてきました。
 その代償は大きく、かなりの筋肉痛です。この仕事は優秀なスタッフに譲ろうと思います。


11月14日 「西へ」
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 週末に、小田原へ行ってきました。
 結構時間かかると思っていたのですが、新幹線のこだまで30分足らずでした。駅に着くと雨雲が近づいてきているのが分かり、足早に調査地へと向かいました。急ぐ私とは裏腹に、まちは何となくのどかで、何となく楽しげで、何となく人がいて…という印象でした。
 老舗もポツポツと残っており、何か商売を競ってガツガツしている雰囲気もなく、都心に住んでいるとこのような雰囲気を忘れがちだと痛感しました。また、都会に人口が集中し、ストレスと叩き合いでつぶし合いとなり、破滅に追い込まれる生き方は決して良いとは言えないと感じました。
 「都会に住む⇒蜘蛛の糸の結末」とならぬよう、建築家の責任は自分の生命よりも大きいと感じます。

 さて、そう落胆したかと思いきや、鈴○で好物のわさび漬けを購入し元気を取り戻しましたが…。

 同様の事を先日鎌倉でも感じました。三浦半島を越えるとこんなにも異なる世界なのかとうらやましく思い、そろそろ島も良いけど西の方を目指そうかと思う気持ちが芽生えてきました。
 東北も目指しているのですが悪戦苦闘中です。といいながら今週末から式根島へ出張です。


11月22日 「式根島」
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 日曜日から出張で式根島へ行ってきました。先日出張した青ヶ島と共に、面白い島でした。当たり前に透き通る海水があり、崖に草木が根を張っておりました。
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 帰路は新島と利島と大島を経由してきましたが、通過した島も含め、それぞれの島にはそれぞれの特徴があり、私は船中、海に浮かぶ島を見るのが好きだと実感しました。船中ずっと外を眺めており、見る角度が徐々に変わり、太陽の位置も動くと島の表情も変わります。誰も住んでいなかった時代からどのようにしてこの島に住みたいと思って居ついたのか…空想が膨らむばかりでボーっとしながらも、高揚してしまいました。

 大島から神津島までは島が連なっているので、次の次の島も見えており、小笠原諸島を水平線に見つけた時の興奮とはちょっと異なる印象でした。来月は、いよいよ小笠原出張です。


11月26日 「節目」
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 40年も生きておりますが、私は幼少の頃は腕白坊主でした。近所の子と球技をするのも好きでしたが、昆虫やザリガニやカエルを捕まえ、木登りやメンコやコマで遊ぶのも好きでした。しかし本格的に野球を始めたので、それ以外の事は成長するにつれてやらなくなってきましたが、その頃の自分が一番幸せだったと(今のところ)思っております。

 すっかり野球少年になってしまいましたが、腰を痛めて野球を断念したのが春の甲子園での2年連続補欠校となってしまった時で、この時の空虚感は今でも忘れられません。それを埋めてくれたのが勉強するという行為でした。

 しかし、正しい勉強方法が分からずにおり、相談という意味も兼ねて行ってみようと思ったのが、通学途中の小さな予備校で、ここで私は“ある二人の方”と運命的な出会いをしました。
 一人は現弊社役員である T 先生で、当時はこの予備校で講師をしていました。先生との話はいつか記すとして、もう一人は同じ高校でしたがあまり会話をしたことのない I 氏でした。高校3年から2年間この予備校でお世話になりましたが、私は当時結果ばかり気にして大ざっぱな勉強方法しかしていなかったタイプで、 I氏は集中するコツコツタイプでした。
 “コツコツ”にイライラを感じていた私には、彼の性格が不思議でした。でもこの二人が一緒に朝から晩まで勉強することで、全体も見られて細かいところにも目が届くようになり、あれよあれよという間に成績は伸び、私は早稲田大学、彼は東京理科大学に入学しました。
 私にとって、浪人して予備校に通った1年が人生の転機であった事は明白です。私が落ち込めば彼が励ましてくれたし、その逆もありました。大げさではなく、今私がこうして建築家として生きていられるのは彼のおかげであり、20年以上経った今でも当時の事を覚えておりますし、彼への感謝の気持ちは尽きません。


 先週の土曜日、その彼が遅咲きながら結婚式をするというので参列してきました。幸せそうな二人を心から嬉しく思いました。披露宴途中で、地球からも「祝いの振動」をいただくハプニング付でしたが、どんなハプニングにも負けず幸せな家庭を育んでいただきたいと思います。


 人生の節目は人によって異なり、私の節目(小さな節目は沢山ありますが)は、浪人して彼と勉強した時と、会社設立から4年経った苦しんだ年だと思っております。この年に黒川紀章が亡くなったのですが、私の建築に対する考え方または向き合い方が変わった年でもあり、今後もまだ見えぬ次の節目に向けて惜しむことなく努力をしようと思っております。


12月10日 「トビウオ」
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 先週父島出張してきました。

 船のスタビライザー(バランスを取る羽のようなもの)が壊れているという噂通り、船中かなり揺れました。ゲロゲロ大合唱のようでしたが、私にはまったく縁がなく、何でこんなに船酔いしないかと不思議に思います。

 父島に行ったらのんびり仕事をしたいと思っていましたが、最近は車で連れまわされて「休み仕事」のような感覚ではなくなってしまいました。官民の仕事が共に増えまして、友人知人も増えまして、散歩すらままならぬ状況です。
 今回の渡航では、暗闇でトビウオと目があったくらいが面白い話で、あとは仕事と酒飲みの話です。出張日記もそのうち更新されると思いますが、冴えない文章となりました。


 明日は食事制限をさせられ、明後日が健康診断です。取締役からの命令で上から下から何されるかも知らないで健康診断を受ける事になります。
 気分良く金曜日の忘年会を迎えられると良いのですが…。


12月21日 「健康診断」
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 先週、待ちに待った健康診断をしてまいりました。今年は例年に比べ、より詳細な検査を行いまして、大した問題も見つからずに良い意味で期待外れな結果となりましたが、アルコールについては今年も注意を受けました。
 ただし、今年のγ‐GT数値は昨年よりも下がっており、肝臓も鍛えられていることが分かりました。


 テレビに出る人たちが、ブログでオークションを紹介して叩かれておりますが、テレビ自体がそのようなシステムだという認識でおります。ただ今回は詐欺まがいの事をしているから取り上げられているだけで、どこまでが詐欺かを自問すると、テレビというメディアは勿論、新聞というメディアまでも侵されていると考えます。
 そして社会もそのようなものでして、何が真実なのかを自分で見極める能力が必要だと感じておられる方も多いかと…。得てしてこのような自己判断は、自信がないと不安になるので、大衆が良いというものを良いと思いたくなる傾向があります。
 メディアの中の建築もそれに準じようとしており、これを否定する建築家の社会的責任は大きいと思っております。


 今年も残すところあと僅かとなりました。あまりにも一年が早く過ぎ去ってしまい、しょっちゅう健康診断をしている気分になります。その為しょっちゅう怒られている気になっているのですが、その反骨精神から肝臓が強靭となった証となるこの検査結果を、偽りではなく真実として受け入れようと思います。


12月27日 「年末」
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 あっという間の一年でした。
 弊社の業務は12月28日で終了となります。来年は1月7日からとなります。


 今年は、いろいろな仕事をさせていただきました。春には案件名も言えないような国の施設の改修や、3年がかりで創った長屋が竣工、夏には井の頭公園の森の中に小さなトイレを新築し、信金本店の耐震補強設計等のリフォーム設計もありました。そして、小笠原だけではなく、八丈島・青ヶ島・式根島での仕事もさせていただきました。
 更に、老夫婦の住まいを改修したり、店舗や住宅のリフォームもさせていただきました。秋には「東京の若手建築家とつくる家(建築ジャーナル)」に掲載していただいた本が発売されました。

 現在はある税務署の増築や公園トイレの新築設計を行う一方で、クリスマス休みを返上してあるコンペに参加をしております。初笑いできるか否か、一次審査の結果は来年早々に…大きなお年玉になることを祈ります。


 まだまだ書ききれないほどの設計依頼を、今年頂戴できたことに感謝しております。そして、多くの方から相談を受けたり、弊社を信頼して設計依頼していただけたことにも感謝申し上げます。
 ただ、こうしてたくさん感謝できるのも、役員はじめスタッフのおかげと言わざるを得ません。今年も、安心して出張をさせてもらえましたし、安心して健康診断もさせてもらいました。


 ひとつ感じることは、社会は建物を建て過ぎたように思います。戦後、「焼野原に建てる事が将来への希望」という時代から、その次の次のステップとなったと感じます。
 それは、建築飽和で改修が増えたという事を暗に意味しているのではなく、戦後建てた「希望の建築」をそのままの土地形状でメスを入れるか、周辺の建物をひっくるめて再開発するかという選択肢になりました。
 デベロッパーや大きな設計事務所は後者を薦めるわけで、メディアの洗脳もあって、それを正とする社会になりつつあることに危険を感じます。それらの問題を真剣に考える為に、建築家協会でMASというセミナーを行うようになりました。継続的に行われるので、ご興味ある方はご参加ください。


 来年も、一段階段を登れるように皆で力を合わせて頑張りたいと思います。派手さは無く一歩一歩の会社ですが、来年もまた宜しくお願いいたします。


バナースペース

株式会社田中俊行建築空間設計事務所

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