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株式会社田中俊行建築空間設計事務所は、用途・規模・構造を問わず、あらゆる建築作品を設計する事務所です。

第5回渡航2009年10月14日(水)~19日(月)

第1日目

9時
竹芝桟橋着。

今月忙しいのは分かっていたのだが、ここまで忙しいと己を見失いそうだ。
手荷物は今までの渡航で最も軽く、きっと何かを忘れているのだろうが、今気付いているのはタオルくらいだ。

昨晩だけは早く帰ろうと思っていたが、結局夜遅くまで仕事をすることになり、こんなバタバタで5泊6日の出張とは…。


9時30分
待合ロビーには人が少なく、その中で意外と犬連れが多いと感じる。

目の前を通る見知らぬオヤジがチケットを落とし、しゃぁないと思い、だいぶ追いかけて「チケット落としましたよ」と声をかけたのだが、「そうか」とだけ言って受け取られた。
礼のひとつも言わずに最低のオヤジだ。


9時40分
さっさと船に乗り込み、何時もの特等席をキープ。

11時からここで打合せをすることになっている。


10時
出航。

前回の渡航は台風で散々なモノであった。
今回は頼むぞ…と祈る気持ちである。


10時30分
打合せ資料に目を通すもメール対応に時間を取られる。

私の場合これだけ忙しいと、
「こんな生き方でいいのか?」と問う別の自分が現れる。


10時50分
打合せ前だというのに、目の前に酒を飲むオヤジ共がうるさくてイラつく。
どうみても私は仕事モードなのに、平気で話し込んでいる。


11時
打合せ開始。

ここで仕事をしている方がNGなのだろうけど、少しは静かにして欲しいモノだ。


11時半
打合せ終了。

私が観光客だったら、目の前に仕事をしている人々がいれば、
勘弁してよ…と思うだろう。

ここはお互い様ということで。
打合せ終了と共に、私に話しかけたそうな会話となっている。

私の持ち物の話をしたり、船中で友人ができる等…面倒なオヤジ共だ。


11時50分
横須賀港付近とアナウンス。


今回の渡航は疲労感を伴っているためか、南の島に行くという気持ちの高揚はまったくない。

「どうしたんだ?」「先週のあの ○○○ のせいだろう」と自問自答。
かなりの多忙の中、ここには記せない非常に侮辱的な ○○○ を経験した。

そんな事を気にするのは小さな人間だと自分に言い聞かせようとするのだが、やはり私は小さな人間で、月曜日に黒川先生の墓前で手を合わせながらも同じ事を考えていた。


窓から海を眺めながら、「私は一体何処で生きるべきなのか…」と、答えの出ない難問が脳内を占拠する。


12時半
海上自衛隊の潜水艦が並走しているとアナウンス。
数名の客が喜んで外に出る。


そろそろ東京湾外となり波が高くなるだろう。
あまりはしゃいでいると気持ち悪くなるぞ。


13時
酒に酔った方が私に話しかける。
話し込んで気付くと15時となっていた。

2時間も烏龍茶で話せるとは思わなかった。


16時
少々船の揺れを感じるようになり、横になる。


18時半
心地よい揺れの中、2時間半も寝てしまった。

電波は圏外となっていた。


19時
カップラーメンを食す。

ここ数日、心身ともに疲労を感じ、体に力が入らない。
カップラーメンを食べても力が入らず、ソファで読書をする。


21時
ゆっくり読もうと思っていた石山修武さんの本であったが、
一気に読み終えてしまった。


内容は私が今活動している事と類似していて、私の動きを彼が知ったら、「真似しているのか」と言われるかもしれないような本であった。

とにかく、ほとんどの生命体が人類の歴史よりも前から存在するわけで、建築はそれを考慮した立体でなければならず、
それを伝えるメッセージであるべきだという自論がある。

石山さんは本中の表現として、「森の中、何処に向かっているのか」という自身への問いかけをしているが、
おそらくその方向やゴールは見えているのではないか…と推測する。

万が一見えていなくてもそうは言わないだろう。
しかし私にはまだ森の中で何処に進めばよいのか、そして何が答えとして得られれば己が満足するのか、それは単なる自己満足にしかならないのではないか、建築家として生きる事がそれらを全否定するのではないか…と。

自分の目指す方向に迷いがなくとも、それを目指す事で、スタッフや友人らにも心配と迷惑をかけるかもしれないし、すごく近くにゴールがあっても、気付かずそれに背を向けて歩んでいるかもしれない。

そんな森の中、食料はおにぎりを数個持っているだけで、空腹で歩けなくなったら一口頂戴し、また歩み、また食べの繰り返しである。


正直、父島が世界遺産になったら私はそこを去るのだろうと感じている。
世界遺産になったら多くの著名建築家がそこで作品を残したがるだろう。
観光客も多くなり、空港が作られ環境保護団体の活動拠点になりそうだ。

世界遺産を目指すという人々の想いを胸に、私がこの仕事に携わる事が本当に良いことなのか。


22時
クダラン事を考え、こんな時間になってしまった。


そろそろ寝る準備をしないと、また暗闇の中、頭をブツケテ寝なければならなくなる。


今回の渡航は比較的揺れも少ない。


第2日目

7時
起床。

外は雲っているが、時折見せる太陽光のシャワーが美しい。
父島写真05-01


7時半
乗船人数が少ないからか、空調が非常に冷たく感じる。
風邪をひかぬよう気をつけねば。

顔を洗い、鏡を見ると、また少し太った気がする。
タバコをやめたからか、電動自転車に頼る生活をしているからか、酒を飲みすぎているからか、良くこれで恥ずかしくもなく人前に出られるモノだ…。


9時
外に出ると小笠原諸島の最北端が見えていた。

聟島列島。
水平線にポツリと現れ、それを見つけられた瞬間は5度目の渡航でも感動する。


このような事を記した、大学の卒業論文を懐かしく思い出す。


10時
父島列島が見えてきた。
海と空、その間の水平線のほんの一部が人間の住める陸地である。

今日はカツオドリが出迎えてくれないようだ。
父島写真05-02


11時
上陸準備にかかる。
父島写真05-03


11時30分
何時ものようにチチジマタクシーがお出迎え。
今回は乗客が少ないからか、声掛けに元気がないように感じる。
父島写真05-04

父島上陸。
父島写真05-05

父島写真05-06


11時40分
現地の方のお出迎え挨拶。


簡単なスケジュールを打合せし、宿であるガジュマルへ。
相変わらずハンプティダンプティ風貌の宿のお母さん。

「何時も通りね」と会話を交わし、また何時もの部屋に荷物を運ぶ。


12時
メールをチェックし、会社へ連絡。
電話の後、大量受信されているメールに返信。

おにぎりを食べながらにしようと買い物へ行こうとすると、突然の雨。
靴を履いたら傘がスタンバイされていた。

「お借りします!」と言って外に出て、10mも歩かぬうちに雨は止んだ。


13時
メールを確認しながらおにぎりをホオバリ、内地に帰ってからのスケジュールが埋まっていく。

14時からの現場打合せ準備を始める。


13時半
遠回りしながらと思い、少し早いが宿を出る。
ショートカットトンネルを通り、海岸で海を眺める。
父島写真05-07

透き通る海はコンクリートで港を作られ、そこに生息していた珊瑚たちは白く生命を絶っている。
小さなカニは私を警戒し、逃げ隠れを繰り返す。
父島写真05-08

「ゴメン…」とつぶやき、目を遠くにすると熱帯魚の小魚たち。
魚が浮いているように見えるのを驚くのは、人間くらいだろう。
父島写真05-09

人間のいない海はどこもこれくらい澄んだ海なわけで、魚の殆どはこのような綺麗な海に生息しているのだろう。

これだけ澄んでいれば、空気に触れているのと大差ないと錯覚する。
ダイバーの気持ちが少し分かったかな…。
父島写真05-10

携帯の時計を見ると14時を過ぎていた。
急いで現場へと何時もなら思うのだが、今日は遅刻してもいいやと思っている。


14時10分
現場着。

何の為かと思う書類をチェックし、何の書類が足りないだの、
あそこの部分の写真を出せだと指示をする。

現場を回り、何時ものように指摘事項をまとめる。


16時半
施工会社の事務所へ移動し追加書類の確認。

島内2件目の、仕事の施工会社が決まったと連絡あり。


17時
事務所に現場作業員が戻ってきて騒がしくなっている。

でもその会話はどこか温かみのある会話であり、親分と彼についていくと決めた人々との主従関係が垣間見れた。


17時半
その親分と「また飲みに行こう」ということになり、「19時に何時もの店で…」と別れる。

帰り道「送ります」と言われるが、「それが原因で遅刻されると困るから…」とジョークを言って断る。

さほど遠くない帰り道。


18時
フラフラして帰ったので思ったより時間がかかってしまった。


庭で宿の方々が井戸端会議。
「おかえりなさい」と声をかけられ、会釈だけして部屋に入る。

今日はクーラーを付けぬようにしようと窓を開ける。

井戸端会議の声を盗み聞きしながら、私の電話の声も盗み聞きさせる。
昔は窓を開ければ人の声が聞こえたのに、今、都会では車の音しか聞こえなくなった。

猫の声を忘れていたが…あいつら元気にしてるか。


18時半
一通りのメールやり取りを終え、会社に連絡。
今日の仕事内容の確認と、明日のスケジュールをプロジェクト毎に確認。


19時
「さて、そろそろ出ますか!」という独り言と共にニヤリとしてしまった。


19時10分
何時ものような歓迎振りに、照れくささを感じる。
今日は入店後直ぐにカメ店長が挨拶。

「髪切ったでしょう。パーマかけたの?」と。
天然だと説明するのに多少の笑いあり。


実はあっという間に24時を過ぎてしまい、店には私とカメ店長とその友人しかいなくなっていた。
男3人での話は尽きず、野球の試合にてカメ店長がエラーした事や、他の友人にイタズラ電話をしたり、羽田空港が24時間営業になったら海外へ行こうという話にもなった。


「海外」にいる人が海外というので笑ってしまい、少年の頃にタイムスリップしたような感覚であった。


偶然にもカメ店長の友人が家を建てたいと相談してきて、私は自論を熱く語ってしまった。

二人は目が点になっていたが、一度島でこの話をしたいと思っていた。
変わり者と思われたかもしれないが、この内容が口コミでどう広がるか楽しみにしたい。


少しすっきりした感もあり、口笛を吹きながら宿へ戻る。


24時半
テーブルの上に置手紙。
“鍵を閉めて電気も消すように”と英語で。

階段を上がり、ベッドへ横たわり、そのまま眠ってしまった。


第3日目

7時
起床。

少し疲れが取れた気がする。
それにしても昨晩はよく飲んだ。
ボトルを2回は頼んだから焼酎を2升は飲んでいる。

肝臓に怒られそうだ。
昨晩約束した、建築会社の親分は現れなかった。
すっかり忘れていたが、店の入り口から私の姿を見て入店しなかったのか。

気を遣わせてしまったのかもしれない。


何時ものように風呂に入り、何時ものように朝食を食べた。


8時半
仕事開始。

メールのチェックと会社へ連絡。
会社は9時半からで誰もでなかった。

「なに焦ってんのよ」と苦笑い。


9時半
会社に連絡。
今日のスケジュール確認等。


実は今日、会社設立以来、初めて私不在で契約をする。
ここにいるからというのが原因だが、かなり不安である。


10時
宿を出る。
父島写真05-11

現場へ向かう寄り道中に、鮫と遭遇。
全長2.5mくらいであったが、透き通る海水にはっきりと見えた。
父島写真05-12

今日は鳥も逃げない。
長々と歌声も聞かせてくれたし面白い飛び跳ね方をする鳥まで。
私とかくれんぼをするカニたちも楽しそうだ。
父島写真05-13

父島写真05-14

父島写真05-15

父島写真05-16

父島写真05-17

また変な錯覚が…。


10時半
現場に到着。

鍵は開いているのに誰もいない。
島の人々は金儲けに執着していないこともあり、本当にのんびりだ。

少しイラつくのだが、これが本来人間の有り様だろう。
いつもなら文句をいうのだが、今日はガマン。


11時半
多少の打合せをして、一度宿に戻ると告げる。
本当に明日の竣工検査に間に合うのだろうか?!


12時
おにぎりを買って宿に戻る(実はカメ店長を見かけたが、お互い見ないフリ)。


宿には誰もいないらしい。
鍵は開いているし、窓も開いている。
父島写真05-18

無用心だと思うのはまだ島に慣れていない証拠。


12時30分
メールと電話で、何のおにぎりを食べたか分からなくなる。


13時30分
待ち合わせ場所へ向かう。

“14時に次の打合せ”と分かれたが、時計の針は13時55分。
車に乗せてもらえばよかった。


14時
父島で走っているのは私くらいだ。


14時5分
ちょっと遅刻するも、「ここで待機」と言われ汗を拭う。


14時10分
打合せ開始。


14時40分
打合せ終了。
次の打合せは16時半。

それまでに会社とメール電話でのやり取り。
島の人がこの私の仕事ブリを見たら、指を差して笑うだろう。
父島写真05-19

父島写真05-20


16時
少し早いが打合せ現場へ向かう。
何時もの遠回りである。
父島写真05-21


16時半
現地着。


遠回りをしたのだが、川の浅瀬にも魚が生息し、都会では考えられぬ、あたりまえの光景をみた。


現場に到着するや、的確なはずの指摘と明日の検査についての心構えを伝える。


18時半
暗い夜道となったが、車に乗ることに抵抗あり。
歩いて帰る。


18時50分
宿に戻り会社に連絡。

「こんなこと、ここで考えたくないよ!」と言いたくなるも、愚痴程度でガマン。


19時10分
何時もより出発が遅れるが、チョウチンを目指す。


あまり空腹感がないので、少し散歩を楽しむ。
数軒のお店があるが、何処も楽しそうだ。
今日はこっちと指差せればよいのだが、性格上、浮気はできない(説得力無し)。

やはり何時もの店へと向かう。


20時
カメ店長から笑顔で怒られる、“真面目な話をするな!”と。


世界遺産になることが本当に良いことなのか、意見を聞きたくて、私が切り出してしまった。

“村長になれ”と言ったが、“興味ない”と横目でカワサレ、今の村長は何処に住んでいるのか…本当に島にいるのか不知だと聞く。


22時
いろいろと考えることもあり、今日は店を早めに出る。

鮫の話は皆知っていて、鮫のくせに「シロワニ」という名前がついているらしい。

たまたま私は見られたらしいが、若い店員からはうらやましがられた。


23時
やはり遠回りをして宿へ帰る。


綺麗な星空は土産に持って帰りたいと思うほど…。
“また来たいなぁ…”と思うのと同時に、“帰りたくないなぁ…”と思うようになる。

一生命体にとって当然のコメントだと思う。


23時半
何時ものように英語で置手紙。

ちょっと字が荒っぽく、もう少し気を遣った字にしないと…と独り言。

階段を登る力はまだ回復していないと実感する。
今日は早く寝て、明日の忙しさを乗り越えようと思う。


24時
消灯。


夜中トイレに行くついでに、「冷蔵庫にサービスドリンクがある」と夕方聞いたので、冷蔵庫を覗く。

性格が悪いと自己反省。


第4日目

7時
起床。

少し疲れが取れた気がする。
それにしても昨晩はよく飲んだ。
ボトルを2回は頼んだから焼酎を2升は飲んでいる。


9時
何時もどおりに朝食まで。
部屋に戻り、メールのチェック。
仕事仲間から夜中に送られたメールを着信する。

今日は渡航中最も重要な日。
今日一日頑張ろうと身支度を整える。


9時半
少し早いが打合せ場所へ向かう。

途中の寄り道は何時もどおりで、海と空と白浜が眩しく目を開けていられないほど。
父島写真05-22

父島写真05-23


9時40分
フラフラしていると面白い植物を発見。
スケール感がまったく異なる植物だ。
写真を撮るが、おそらく実物を見ないと伝わらないだろう。

面白い樹木もあった。
枝の上に小枝が伸び、そこに葉が付いている。
よって下から見ると、枝が丸見えだ。

葉が光を奪い合っているのか、枝が光を遮るためかは不知だが、そこに魂を感じる。
父島写真05-24

父島写真05-25


10時
道草しているとあっという間に打合せ時刻。
急いで行くもやはり揃っていない。

皆私と同じように道草をしているのか。


11時
打合せ終了。

2件目の仕事の住民説明であったが、上手くいって良かった。
この手の業務に関しては慣れたものである。

今回の図面に関しても、施主やゼネコンから感謝された。
心地よいひと時であった。
あくまで設計者として当たり前の仕事をしているだけなのだが…。


11時半
現地での設計説明。
改めて図面の正確性をほめられる。

照れくさい。


12時半
次の打合せは13時半からなのに、非常に中途半端な時間だ。

ショートカットトンネル+急ぎ足で、スーパーへ。
おにぎりを一つ+お茶を買い、そのまま歩きながら食事をする。


13時
頼まれていた電話をするのに、現地の電話帳を手にする。
見ると薄っぺらく、直ぐに探すことができた。

都心の電話帳は開く気がしないが、この電話帳は面白い。
殆ど知っている場所のような感覚。


13時半
緊張感のある打合せの開始。
一番気を遣うべき人から気を遣われ、申し訳ない気分。

いろいろあったが打合せは上手く終わる事ができた。
父島写真05-26

父島写真05-27


15時半
現場確認の検査。


17時半
かなりの時間がかかったが、無事終了。


18時
建設会社との打合せ。
一つひとつ丁寧に指示するもどれくらいわかってくれたか。


18時半
ここからが私の本当の目的。
私の住宅論実現の為の相談。

今日しかないから勝負と思い、少々熱くプレゼン。
建築家とはこんなものである。
自分の建てたいモノに対しての貪欲さは忘れてはいけない。

いろんな理由をつけて、「どうしても親分にしかできないでしょ」と語る。
言い訳と思われようが関係ない。
この建築を建てるために全力を尽くす。

田中はまだこんな未熟な建築家である。


19時
目が点になっているのは百も承知で語り続ける。

父島での可能性、父島で実現したい理由。


19時半
少しのヒントを頂戴し、明日、樹木の調査をしようということになる。

どう思われているか気にしている余裕はない。


20時
通常私の携帯番号は教えないが、明日どうしてもと思い番号を伝えて送ってもらう。


20時半
会社に連絡し、あれこれのやり取りの後、何時もの店へ向かう。
遅くなったので遠回りはせず。


20時40分
小雨が降っていたので小走りで入店。
最初に頼んだツナサラダが丼に大盛りでやってきた。

女性店員がカメ店長のサービスという。
お礼を言おうと目をやるが、無視される。


22時
今日もあっという間に時が過ぎ、ツナサラダで腹一杯になったこともあり、カメ店長に生ビールを差し出す。

女性店員には私からと言うなと告げたが、そこは無言の大人会話である。

「誰から?」なんて大声で言っていたが、数分後には私と飲みだした。


新米の女性店員が私の会社近くのテレビ会社で働いていたという話もあり、カメ店長に名刺を渡す。
「そういうの嫌いなんだよなぁ…」と言われたが、私も立場を隠していたかったが、そろそろバレソウだしバレル前に…と。

カメ店長、「初めて人に渡す」と言いながら、奥から持ってきた名刺を私に渡してくれる。

女性店員は初めての行為に驚く。
ちょうどその頃、一度帰った新米の店員が戻ってきて私の隣に座る。


そこから話は何時ものように盛り上がり、カメ店長の家が八広にあるという話では「現在私は八広に現場がある」話になり、更に新たな東京タワーの必要性、数年後に田中の事務所のある六本木に行ったら…等々、話は尽きず。


「12月にまた来る」と伝えても、もう一杯と進められる。
24時を過ぎたところで会計をし、24時半に店を出る。


24時半
どこまで記してよいのか分からず、ただ、楽しいひと時を過ごせた事に感謝である。

女性店員は私を色気のない男と思っているだろうが、しゃぁない。


24時40分
雨の中、宿に戻る。

何時ものように置手紙。
“Mr.Tanaka Yoroshiku ! ”と…。


気持ちよくベッドに横になりながら、明日帰るというスケジュール帳を抹殺したい自分がいることを認識する。
明日は仕事的には休みだが、建築家としての大一番になるかもしれない日である。

興奮して眠れないのか、アルコールが足りないのか不知だが、今日は眠れそうに無い。


第5日目

7時
起床。

今日は最終日!
思い残すことがないようにせねばならない。

外はドシャブリの雨。
まるで前回渡航した際の台風のよう。
父島写真05-28

父島写真05-29


10時
施工会社の親分に電話。
10分後に迎えに来るという。


10時10分
車に乗り山奥へ。


10時20分
天気はコロコロ変わり、豪雨と曇り空の繰り返し。
ここからは歩くしかないと言われ、車を降りる。

降りたら直ぐに川があってトオセンボウ。
よく見ると川は歩道であった。

それにしても見られる範囲にあったサルスベリでさえ銘木であり、一体奥にはどんな銘木があったのか、行く手を阻まれ残念である。
父島写真05-30


10時30分
諦めて別の場所へ。

大きなガジュマルとベンガルボダイジュ。
残念ながら豪雨なので車外にも出られず、車内から窓を拭きながら確認する。

それにしてもこの木々は私のイメージ通り。
一つの幹から枝が生え、その枝からも根が生える。
それを繰り返す事で、構造体が結成されている。

私の追い求めていた巨木であった。
父島写真05-31


10時50分
冷静なフリをして、運転している親分の言葉に空返事。
やっとあの建築を建てられる環境を見つけられた。
帰路中の車窓から、滝が多数形成されている。

この島は基本岩盤なので、雨水は透水せず、そのまま海まで滝となり流れ落ちる。
よって豪雨時には大きな滝が幾つも出現する。
父島写真05-32


11時半
島を一周してもらい、彼らのやっている土木工事等も見せてもらった。

本当に必要かといわれれば不要な工事であることも認めた。
雇用対策のような工事は、島の人口減少を防ぐ為と聞く。
減るのが悪いことではないとは思っているらしいが、社会の空回り現象を垣間見ることができた。


12時
深々と頭を下げ、車を降りる。
いろいろ考えさせられた。


12時10分
最後の昼食はあの店へ。

カメ店長は不在だったが、冷やしたぬき蕎麦を大盛りで注文。
私が入店した時は客がいなかったが、蕎麦がテーブルに載ると満席となっていた。

この客は「たぬき」ではないだろうかと馬鹿なことを考える。


13時
忙しそうな店員に「次は12月に来ます」と伝える。


13時10分
土産を買い、宿に戻る。

宿のお母さんの出迎えに、「雨宿りさせてもらってもよいですか?」ときく。
「どうぞ」と言われ、ハンプティダンプティのようなお母さんと、初めてテーブル越しに話をする。

島で生まれたが、元は英語圏だったので日本語は話せなかったと。
父は軍人で、戦争で片腕を失ったが、非常に起用な人で、片手でボタンを縫い付けることもできたし、建築をいじることにも興味があり、自分はその血を受け継いだと感じると。

嬉しそうに“この部分をこう改修した…”等、私がプロと知っているのに楽しそうに話す。

愉快な時間は時計を早め、気付くと13時半を過ぎていた。


13時40分
お母さんが傘を持って港まで送ってくれた。

雨だからであるが、送ってもらうのは初めてで少々嬉しかった。
嬉しかったからか、搭乗手続きを忘れていた。


14時
ギリギリで乗り込み、そのまま出港。
父島写真05-33

父島写真05-34


何時もよりも少ない見送りは雨のせいだろう。
疲れたと思い、椅子に座ると直ぐに手招きされラウンジへ。

宴会が始まっていた。
酔っ払う前に私の仕事振りをかなり褒められ、勘弁してくださいと言ってもその行為は続く。
こう言われると「本当に仕事をしていて良かった」と思う瞬間である。
同時にこれからはこういう方々と仕事をしたいと思う。

現実にはまだ無理だが、私も仕事を選ぶ歳になったか…と生意気な気持ちになった。


気付くと24時。
かなり盛り上がった宴であった。
10時間も酒を飲み続けるとは、皆パワーがある。

床に就くと直ぐに寝てしまった。


第6日目

9時
起床。
ちょっと寝坊した。
………というか揺れも少なく、寝心地が良かった。

顔を洗い、朝飯は抜きでスケジュール帳とニラメッコ。
今日の夕方からまたハードワークとなる。
スケジュールは抜け目無く、どうやったらこんなにガッチリ予定が入るのか不思議なものだ。


10時
少々揺れだした。

昨晩の宴で聞いたが、どんなに海が荒れていなくても、黒潮を渡る時は揺れるらしい。

きっとこれがそうだと一度横になる。


11時
揺れはなくなり、外に出ると大島発見。
父島写真05-35


11時半
電波圏内の為、会社に電話。
特にトラブルもなさそうで安心する。


12時
カップラーメンを食し、歯磨きに洗面所へ向かうと昨晩のメンバーの一人。
二日酔いで今起きたが調子が悪いと…。
そういう顔は朗らかで、こういう人と仕事ができていることに改めて嬉しく感じてしまった。

二日酔いの方の前で申し訳ないが…。


12時30分
船内をフラフラしていると、迎え酒をしていると言う…このタフさに脱帽である。
参戦を求められるが、船を降りたら別件の施主のところへ行くことになっており、苦い顔をしてしまった。


13時
やはり断りきれないモノで、宴が再会される。
しかし、外の風景は東京湾内で、今日は月曜日という事もあり、他の方々も酒を飲んでいる場合ではないことに気付く。


14時
私も含め皆がバタバタ騒ぎ出したので、中途半端に宴会は終わる。


15時半
予定通りに竹芝桟橋に着岸。

帰りの船中、椅子に座りながら酒を飲み、大した揺れでなかったので船中である事を忘れて、自然と腰に負担がかかったようだ。
荷物を持ち上げる事ができなくなっていた。

ギックリゴシリーチのまま、忙しいストレス社会へ吸い込まれていく。

今回の渡航は嫌なことが頭にあり、文章にも冴えが無い。
せっかくご興味をもって読んでいただいた方々にお詫び申し上げます。

次回渡航は12月。


株式会社田中俊行建築空間設計事務所

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